『更級日記』の中の一節、「梅の木のつま近くて、いと大きなるを、『これが花の咲かむをりは来むよ』といひおきて渡りぬるを」とあります。この部分をどのように訳すべきかについて、よくある誤解とその正しい解釈について解説します。
『更級日記』の背景とその重要性
『更級日記』は平安時代の女性作家、紫式部の作品であり、彼女の文学的な観察と感情が色濃く反映されています。この作品は日記形式であり、その内容の中で様々な表現が使われています。その中に登場するこの歌の部分もまた、非常に深い意味を持つ言葉です。
「梅の木のつま近くて」という言葉に含まれる、季節感や情景描写は、当時の生活の中で生まれた細やかな感受性を反映しています。
歌の原文とその訳について
歌の中での「これが花の咲かむをりは来むよ」という部分は、直訳すると「この梅の花が咲く頃には来るよ」という意味です。ここでは、「花の咲かむをり」という未来形の表現が使われており、「咲かむ」を「咲くつもり」と訳すと意味が変わってしまいます。
つまり、「咲かむをりは来むよ」という部分は、「梅の花が咲く頃に来るつもりでいる」と解釈するのが正しいです。これは未来の出来事を示唆している表現であり、「咲くような日は来るだろう」という訳ではありません。
誤訳とその理由
「咲かむをりは来む」という表現を「咲くような日は来るだろう」と訳すと、未来形の表現が曖昧に伝わってしまいます。日本語の文法では、未来を指し示す「来む」は確定的な未来を表し、単なる予測や可能性を意味するものではありません。そのため、ここでの「来む」は、相手が未来に確実に来るという意思や意図を表しています。
誤訳が生じた背景としては、日本語の時制に対する理解の不足や、「来む」という言葉が持つ意味合いの誤解があると思われます。
さらに深い理解のために
『更級日記』や古典文学を理解するためには、言葉の意味をただ単に現代語に直すのではなく、時代背景やその時代の人々がどのように言葉を使っていたのかを理解することが重要です。特に、未来の出来事を示唆する表現には注意が必要で、文脈や表現の微細な違いが意味に大きな影響を与えます。
また、同じような古典文学の作品でも、言葉の選び方やその使われ方が異なるため、各作品ごとに細かい理解が求められます。
まとめ
『更級日記』における「梅の木のつま近くて」の部分は、確実な未来を示唆する表現です。「咲くような日は来るだろう」という訳は誤解を生む可能性があり、正確には「梅の花が咲く頃には来るつもりでいる」と理解することが必要です。古典文学の解釈には時代背景や表現のニュアンスを深く理解することが求められます。
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