『宇治拾遺物語』の「絵仏師良秀」の中で、前半部分と後半部分で「わろく」と「あしく」の表現が使われています。この違いについての疑問を抱く方も多いのではないでしょうか。この記事では、この表現の変化が示す意味や背景を深掘りしていきます。
1. 「わろく」と「あしく」の意味とは?
まず、「わろく」と「あしく」の言葉自体の意味を考えてみましょう。「わろく」とは、古語で「悪く、劣っている、下手」という意味を持ちます。一方、「あしく」とは「悪い、ひどい」といった意味になりますが、後者の方がさらに強い否定的な意味を含んでいます。
この違いは、文章内での「絵仏師良秀」の技術や出来栄えに対する評価を示唆しているとも考えられます。
2. 表現が変わる背景とその意図
「わろく」から「あしく」に変わる理由は、物語の進行と絵仏師良秀の技術の評価に関係しています。最初に「わろく」という表現が使われている部分では、絵仏師良秀の技術がまだ未熟であることが示唆されています。
しかし、後半では「不動尊の火炎をあしく書きけるなり」とあります。この表現の変化は、作品がより深刻で否定的な意味を強調していることを示すために使われている可能性が高いです。絵仏師良秀の技術があまりにも劣悪であること、または予想以上にひどい出来栄えであることを表現するために、「わろく」から「えしく」に変えたと考えられます。
3. 当時の価値観と技術の評価
このような表現の違いは、当時の芸術や技術に対する評価基準が厳しかったことを物語っています。古典文学における美術や技術の評価は、現代とは異なり非常にシビアでした。特に宗教的な絵画や仏像などでは、その技術の正確性や美しさが重要視されました。
そのため、「わろく」と「あしく」の表現の違いは、技術的な欠点を強調するための手法として使われたのです。
4. まとめ
『宇治拾遺物語』の「絵仏師良秀」の中での「わろく」と「あしく」の表現の変化は、絵仏師良秀の技術の劣悪さを示すための文学的手法でした。この変化によって、物語の中での技術の評価がより明確に伝わります。文学作品における微細な表現の変化は、時に作品全体のテーマや意図を理解するための鍵となることがあります。
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