「大江山いく野の道遠(けれ)ば」というフレーズは、日本の古典文学や和歌でよく見られる表現です。特に「けれ」という言葉の意味に関して疑問を持つ方も多いのではないでしょうか。本記事では、この「けれ」がどのような意味を持っているのか、そしてその使い方について詳しく解説します。
「けれ」とはどんな言葉か
「けれ」は、古典文学における助詞や助動詞の一種で、現代日本語ではあまり使われません。しかし、古典的な表現ではよく見かける言葉です。この「けれ」の使い方を理解することは、古典文学や和歌の理解に非常に役立ちます。
「けれ」は、現代語の助動詞「けり」の連用形であり、過去を表す意味ではありません。つまり、現代語の「けれ」とは異なる用法を持っています。
「けれ」が表す意味とその解釈
「けれ」は、現代語では「過去の出来事」を表す助動詞「けり」の形として解釈されがちですが、実際には「けれ」は「逆接」を表す接続助詞として使われています。この使い方は、過去の出来事や状態を述べた後に、それに対しての反対や予想外の事実を続ける際に使われます。
具体的に言うと、「大江山いく野の道遠(けれ)ば」の場合、「けれ」は「道が遠い(けれども)」という意味合いを持ち、その後に続く内容と対比をなす役割を果たします。
「けれ」が使われる例
「けれ」は、和歌や古典文学の中でよく見られる表現です。例えば、次のような文にも使用されています。
「山川の 波をたてて 遠けれど いざや来てみよ 雪の下草」
この場合、「けれ」は「遠いけれども」という意味を持ち、実際にその後に続く内容に対して反対の意味を示すために使われています。
「けれ」の過去形との混同について
「けれ」を過去の助動詞「けり」の一部として捉えてしまうことはよくありますが、実際にはその使い方が異なります。古典文学の中で「けり」は、過去の出来事を回顧する際に使われる助動詞であり、現代語の「けり」と同じように考えることは間違いです。
このように、古典文学や和歌を学ぶ際には、時代による言葉の使い分けや意味の違いを意識することが非常に重要です。
まとめ
「大江山いく野の道遠(けれ)ば」の「けれ」は、過去の助動詞「けり」とは異なり、逆接を示す接続助詞として使われています。この使い方を理解することで、古典文学や和歌の意味をより深く理解できるようになります。言葉の用法や時代背景を学ぶことは、文学の魅力を引き出すための鍵となります。
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