テレビのインタビューで「インスタをやらない理由としてハイデガーの道具論を参考にした」という発言がありました。この発言は少し難解に聞こえるかもしれませんが、哲学的な視点から理解すると興味深いものです。ハイデガーの道具論を理解し、その観点からインスタグラムを使用することについて考えると、どういった意味が込められているのかを解説していきます。
ハイデガーの道具論とは
ハイデガー(Martin Heidegger)は、20世紀のドイツの哲学者であり、特に存在論において重要な貢献をしました。彼の道具論は『存在と時間』という著作において詳述されています。ハイデガーは、私たちが普段使用する道具に対して、単に物理的な物体としてではなく、使用目的を持った「存在」として捉えるべきだと考えました。
彼によると、道具はその機能を発揮することで「見えなく」なるべきだとされます。つまり、道具はその目的を果たす時、私たちはその存在を意識せず、単に「道具がうまく使われている」と感じるのみです。道具そのものに注目することは、機能として不完全だとハイデガーは述べました。
インスタグラムと道具論
さて、インスタグラムを使用することにおいて、ハイデガーの道具論をどのように適用できるのでしょうか。インスタグラムなどのSNSは、ユーザーがその機能を利用して自分を表現する道具として使われますが、その本質は「物体」になり、機能として見えなくなっていくことが目的です。
インスタグラムの使用は、個人のアイデンティティや自己表現の手段となり、次第に「道具」として認識されることなく使われ続けます。つまり、SNSの使用は、道具としての本来の目的を超え、自己表現が目的となり、道具そのものが意識されなくなります。これがハイデガーの言う「道具が物体に戻る」という部分にあたります。
「道具を物体に戻したくない」とは
「インスタをやらない理由として道具を物体に戻すことが嫌だ」とは、つまりインスタグラムの使用を通じて道具の本来の目的を見失いたくない、という意味だと考えられます。SNSの使い方が、自己表現やコミュニケーションの手段に過ぎなくなり、本来の目的から離れてしまうことに警戒しているのです。
この観点から、道具を物体としてではなく、あくまでその機能を発揮している状態で使い続けることが重要であり、SNSを自分の「道具」としてではなく、単なる「物体」として使いたくないという意識が働いていると考えられます。
結論として
インスタグラムをやらない理由として、ハイデガーの道具論を引き合いに出すことには深い哲学的な意味が込められています。SNSを使うことで道具本来の目的を見失いたくないという考え方は、道具をその機能に徹底して使いたいというシンプルな願望とも言えるでしょう。
この考え方は、私たちが技術や道具をどのように扱うべきかを再考させるものであり、単なる物理的なツールとしてではなく、それぞれのツールがどのように人間の生活に影響を与えるのかを考える重要なきっかけになります。
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