「本質 essentia は神から存在 esse を与えられて事実存在 existentia となる」という考え方において、「本質存在」という言葉が意味を持つのかどうかは、哲学的な問いとして非常に興味深いものです。この記事では、この言葉の理解を深めるために、まず「essentia」「esse」「existentia」の関係を整理し、それを踏まえた上で「本質存在」という語の妥当性について考察します。
「essentia」「esse」「existentia」とは?
「essentia」「esse」「existentia」は、ラテン語で哲学的な概念を表す重要な言葉です。それぞれの意味を簡単に説明します。
・「essentia」:本質。物事がその性質や定義によって何であるかを示す概念です。物が何であるか、どんな性質を持つかを示します。
・「esse」:存在。物事が実際に存在すること、すなわち実体として現れることを指します。
・「existentia」:事実存在。存在が現実の中で具体的に表れることを指し、物事が実際に現実世界で存在している状態を意味します。
本質と存在の関係性
「essentia」(本質)と「esse」(存在)の関係性は、哲学において非常に重要なテーマです。ある物が「何であるか」(本質)と「実際に存在していること」(存在)は別の概念であるとされます。物の本質は、その物が持っている基本的な性質や特性を意味しますが、その物が実際に存在するためには、外部からの影響や条件が必要であり、「esse」すなわち存在が必要とされます。
したがって、本質(essentia)と存在(esse)は別々のものではあるものの、物が存在するためには両者が結びつく必要があります。神から存在が与えられるという視点は、存在するための条件が外部から与えられるという形で理解できます。
「本質存在」という語の意味
「本質存在」という言葉が意味を持たないのではないかという疑問について考えると、これは本質(essentia)と存在(esse)の関係に基づくものです。本質は物が持つ性質や定義であり、存在は物が現実世界において存在するということです。したがって、「本質存在」という言葉は、「本質が存在している」といった冗長な表現に感じられることもあります。
ただし、哲学的な観点では「本質」と「存在」が密接に関連しているため、「本質存在」という言葉が使われる場面もあります。この場合、物の本質とそれが現実世界で存在することを強調する意味合いが込められている可能性もあります。
妥当な考え方とは?
「本質存在」という言葉が意味を持たないという考え方が妥当かどうかは、文脈や使用される哲学的背景に依存します。ある哲学者が「本質存在」という表現を使う場合、それが物の本質と存在が密接に関連していることを強調する意図であるならば、この言葉に一定の意味があると考えられます。
しかし、一般的な哲学的な理解においては、「本質」と「存在」を区別することが多いため、「本質存在」という語が無理に使われることは少ないと言えるでしょう。これに対して、「本質」と「存在」の関係を深く掘り下げることが求められる場面では、「本質存在」という言葉が使われることもあるかもしれません。
まとめ
「本質 essentia」と「存在 esse」の関係において、「本質存在」という言葉が意味を持たないかどうかは、文脈によって異なる場合があります。基本的には、本質と存在は別の概念であり、「本質存在」という表現は冗長に感じられるかもしれません。しかし、哲学的な文脈や特定の視点からは、この言葉にも意味が込められることがあります。最終的には、言葉の使われ方やその背後にある哲学的な考え方によって解釈が異なるため、慎重に考えることが重要です。
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