「蜻蛉日記」の一節、「このおしはかりし近江に文通ふ、「さなりたるべし」と、世にも言ひ騒ぐ心づきなさになりけり。」について、品詞分解を行います。この部分を理解することで、古典文学の読解力が向上し、文章の構造を深く理解できるようになります。この記事では、その品詞分解と、各部分の解説を行います。
文の構造と品詞分解
まず、文章全体の構造を把握しましょう。この文章は、過去の出来事を描写しながら、心情を表現しています。各部分を品詞分解し、意味を明確にしていきます。
「このおしはかりし近江に文通ふ」
この部分では、「おしはかりし」が過去形の動詞「おしはかる」(計画する、予測する)の連用形で、過去に計画したという意味です。「近江に」は場所を表す名詞、「文通ふ」は動詞「文通する」の連体形です。これにより、「近江に文通する」という行為が過去に行われたことがわかります。
「さなりたるべし」とは?
「さなりたるべし」
この部分は、古語である「さなり」(そうである)の過去形「さなりたる」と、推量を表す助動詞「べし」が組み合わさっています。これは「そのようであるだろう」という意味になります。文脈からは、過去の計画に基づき、結果的に何かが成し遂げられるだろうという意味合いを持っています。
「世にも言ひ騒ぐ心づきなさになりけり」
「世にも」は副詞で、「世の中で非常に」という意味です。「言ひ騒ぐ」は動詞「言ひ騒ぐ」の連体形で、何かを大きく話題にすることを示しています。「心づきなさ」は名詞で、「不安な気持ち」や「心配事」を意味し、全体で「心が落ち着かず、不安な状態に陥る」という意味です。
古典文学の文法と現代語の違い
古典文学における文法は現代語と異なる点が多く、特に助動詞や活用形に関しては注意が必要です。例えば、「さなりたるべし」のような助動詞の使い方は、現代語ではあまり見られない表現です。これらを理解することは、古文を正しく読み解くための重要なスキルです。
また、「文通ふ」のような動詞の連体形や、「けり」のような詠嘆を表す助動詞も、現代語には直接的な対応がないため、文脈で意味を取ることが求められます。
まとめ:蜻蛉日記の一節の理解
「蜻蛉日記」の一節を品詞分解することで、古典文学の表現技法や文法の特徴を深く理解できるようになります。特に、動詞の活用形や助動詞の使い方に注目することが、古文を読み解く際の大きなポイントです。
この文の品詞分解を通じて、過去の計画とその結果、心情の変化がどのように表現されているのかを読み取ることができ、蜻蛉日記をより深く楽しむことができます。古典文学に興味がある方は、ぜひ他の作品も品詞分解してみることをお勧めします。
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