古文の表現において、意味が混乱しやすいものがいくつかあります。その中でも「いづくなりともまかりなむ」という表現について、なぜ「まかりなむ」が「参上しよう」という意味になるのかという疑問はよくあります。ここでは、この表現の詳細な意味と、なぜ「まかる」が「退出する」ではなく「参上する」という意味を持つのかを解説します。
「まかる」とは?
まず、古文でよく使われる動詞「まかる」について理解することが重要です。「まかる」は現代語の「退出する」という意味で学ぶことが多いですが、実際にはその意味は文脈によって異なります。確かに「まかる」は「退出する」という意味を持つこともありますが、古文では別の意味を持つことがよくあります。
「まかる」の基本的な意味としては、「出る」「参る」「行く」など、積極的に動き出すことに関連しています。つまり、単に「退出する」という意味に限らず、状況によっては「参上する」や「出かける」という意味に解釈されることもあります。
「いづくなりともまかりなむ」の解釈
次に、「いづくなりともまかりなむ」の意味について考えてみましょう。この表現は、文字通りに訳すと「どこにでも行ってしまおう」となり、基本的に「まかりなむ」の部分は「行こう」「参ろう」という意志を表しています。
「いづくなりとも」とは「どこにでも」といった意味で、場所を問わずどこでも行くという強い意志が込められています。この文脈では、「まかりなむ」が「参上しよう」という意志を示しており、「退出しよう」という解釈はなじみません。
「まかる」が「参上する」と解釈される理由
「まかる」が「参上する」という意味に解釈される理由は、文脈にあります。「まかる」はただ単に「退出する」という意味だけで使われるわけではなく、出かける、行く、参るという意味で使われることが多いです。特に「参上する」や「伺う」といった謙譲語の意味で使われる場合もあります。
そのため、「いづくなりともまかりなむ」では、単に「どこかに行ってしまおう」という意図で、「行く」という意味が強調されていると考えるのが適切です。このように、古文では同じ動詞が文脈によって異なる意味を持つため、文全体の流れを読み解くことが重要です。
「まかりなむ」の使い方とその意義
「まかりなむ」の表現は、主に意志を強調する際に使われます。このように、「まかりなむ」は話者が自分の行動や意図を表現する際に使用され、過去や未来の行動に関する意図を示します。
また、この表現は、文学作品や詩的な表現においてもよく使われ、単に「退出する」以上の深い意味を持つことが多いです。文脈に応じてその意味を解釈することが、古文を理解する鍵となります。
まとめ
古文における「まかりなむ」の解釈は文脈に大きく依存します。「まかる」という動詞が「退出する」という意味に解釈されることもありますが、「参上する」や「行く」という意味で使われることもあります。特に「いづくなりともまかりなむ」では、「まかりなむ」が意志を強調する表現として使われており、ここでは「参上しよう」や「行こう」という意味が適切です。古文を理解する際は、動詞の意味や文脈をしっかりと把握することが重要です。
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